ノーコメントの慈悲も無いのか・・
彼女は死んだかもしれませんが、夫は生きています。
夫と移り住んだって事は、夫は同意したって事ですよね。
彼女への批判は、今生きている夫への批判にもなります。
多分、キリスト教徒ですよね。
その偉い方から否定された彼は、今後どの様に生きていかなければならないのでしょうかね。
否定するならば、個々の人では無く、キリスト教国でありながら、尊厳死が可能な制度を持った州に対して行うべきでは?
また、尊厳死とは自殺と異なりますよね?
これを同じだという教義だから、布教の名のもとに、侵略を行い、文化を根絶やしにしても平気で生きて来れたんですよ。
キリスト教の名のもとに、キリスト教徒は一体どれだけの命を殺めてきましたか?
また、異端或いは魔女だという事で、何十万人も殺してきましたよね。
神に懺悔すれば救われる?
そういう宗教なのですから、そうなのでしょうけど、それで人の罪悪感を無くしてしまうのであれば、正に邪教ですよね。
自分の犯した罪は自分で償うべきですよ。
その前提があって初めて、心の負担を軽くするための懺悔でしょ?
彼女は苦しんでも助かるなら尊厳死なんて選ばなかったと思いますよ。
死ぬのが分かっていて、それまでに苦しむのが分かっていたから、自分が自分の意思がある内に天に召される事を望んだだけです。
それを自殺と断じ、非難し、残った人を苦しめるような宗教なら無い方が良いですよね。
救われる為の宗教が、あるがゆえに苦しめられるんですから。
宗教は心の寄り何処なのでしょうが、それ以上の存在であってはならないと思いますよ。
宗教で救われる事もあるのでしょうけど、それ以上に苦しめられている人達が居るのではないでしょうかね。
自殺は良くない事だとは思いますが、死者に鞭打つ行為は如何なものかと。
まぁ、汝の敵を愛せないし、右の頬を打たれれば左の頬を張り倒しちゃう方々の宗教ですからね。
考える事を放棄した人間は愚かです。
これは、そういった話なのかと。